​代表メッセージ

2014年、私の父であり社長であった米田公彦が急逝しました。

突然の事で心の準備も無い中で子息の私、

米田卓司が4代目の社長に就任し

会社を維持・発展させる重責を担うことになりました。

 

子供の頃から父を身近に見て来た私は、

事業家の苦労を知ってた故に後継者になる事を避けて、

畑違いの知的障がい者の支援事業に強い関心を持つようになりました。

大学卒業後は関西にある福祉事業団体に就職し、ハンディを抱えながら

懸命に生きる人々をサポートする仕事を9年間して来ました。

ある日、関西に足を運んで来た父から会社の厳しい状況と人材の必要性を語られ

旭川に戻る様に説得されました。

私は福祉事業に誇りを持っていただけに、難色を示しました。

しかし父に口説き落とされ帰旭して家業を継ぐ道を選ぶ事にしました。

父を上司として一緒の会社で働く苦労は随分しました。

父から学んだものは「父の背中を見て学べ」と言う無言の指導。

現場のベテラン技術者から熱心な指導を受け、現場における仕事の難しさを学びました。

 

現場作業経験をしながら入社3年程経った頃、そろそろ父から何か学ばせてもらいたいと頼んだが、

「言わなくても出来ている」、「教える事はない」と、いつも背を向けて立ち去る父。

そんな日が続いたある日、体調不良で通院していた父の口からポツリと、

「すい臓癌が見付かったよ。」衝撃的な一言であった。

我が家は祖父にあたる先代も57歳という若さですい臓がんで亡くなった事もあり、

周囲が一番恐れていた事が現実として起こった。

余命1年を宣告され、会社の引き継ぎを残り一年で行わなければならないはずだったが、

社長は「特に伝える事がない」と、冷静な表情で私に言った。

私は現場については掌握出来ているつもりであったが、

社内の管理事務部門については、十分な把握が出来ていなかった。

何を聞けばよいのか?質問の取っ掛かりすら分からずにもどかしく不安一杯だった。

 

その思いを社長に伝えたものの、答えは「お前に何も教えることはない。お前なら出来るよ。」

いつもと同じだった。

不安な毎日に疑問を持ちながら私自身も「本当に一年後亡くなりはしないのでは?」と思ったり、

ひょっとしたら前社長自身も「亡くなる訳がない」と、死を受け入れまいとしていたのかと思う。

夏が本番になる月、前社長は話す事が出来ないほど痛みと戦っていた。

そして、会話出来なくなって一週間程で亡くなった。

大事な人ほど、そばに居なくなった時にその存在の大きさを知ると言う。正にそれを実感させられた。

次の日から、私は前社長の後を継ぎ無我夢中で取り組んでいる。

まだまだ前社長の足元にも及ばないが、

いつか肩を並べる程に成長して天国の父から努力を称えてもらえる日を夢見ている。

お陰さまで、今日まで仕事をさせて戴いて前社長の話が出ると全て気持ちの良い返答が返ってくる。

「物腰が柔らかい、でも芯が強く頑固」私には真似の出来ない人柄ですが、私が目指す所もそこなのかもしれない。

古い物であるがまだ使えるうちは使う、無駄をせずに物を大事にする気持ちは

前社長が身をもって私に教えてくれた事である。

これからも、一升瓶やビール瓶の回収を北海道中から積極的に行う一方、

新しい瓶、ペットボトル、パックなど容器全般の販売を行いたい。

北海道で「容器の事なら米田容器株式会社に頼め」と、言われる様日々業務に

邁進致します。何卒ご支援の程よろしくお願い致します。